アドット・コミュニケーション株式会社 代表取締役
日本アンガーマネジメント協会理事
戸田久実の人生ストーリー
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【幼少期~小学校時代】
昭和一桁生まれの両親のもとに一人娘として生まれる。両親と祖父母、叔父と大人たちに囲まれて育ったためか 、家ではひとり遊びが得意になり、外では近所の友達とよく遊ぶという日々を過ごす。 好奇心旺盛な子どもで、いつも「なんで? なんで?」といろいろな質問をして、大人たちを困らせていた。
両親の教育方針は「自分で考え、行動する」というもの。両親の年齢が周りの同級生よりもやや上だったこともあり、 幼いころから自立を意識して育った。
習い事も進学先も、物心ついたときから決めるのはすべて自分。 「あの制服を着て青春を過ごしたい」 小学校5年生のとき、中学受験を決意。両親にお願いし、学習塾に通うことに。 自宅のある横浜から塾のある池袋まで、行き方まですべて調べて一人で通った。 そのときの合格率はわずか20%。負けず嫌いの性格を発揮して、猛勉強の毎日を送り、合格。
晴れてお気に入りの制服に袖を通す。 -
【中学・高校時代】
猛勉強して入学した中学校。
しかし、周りにはそんな努力すら不要と思うほどの才色兼備な女の子ばかり。
人生初めての挫折を経験し、勉強が身に入らなくなる。
オーケストラ部に入り、ヴァイオリンを担当していたが、その傍らファッション、アルバイトなどの「課外活動」を精力的に行うようになる。
髪の毛をくるくるに巻いてみたり、スカート丈を長くしたり、短くしたり…。
横浜中華街で生活指導の先生から追いかけられて反省文を書いたことも。 「手に職をつけよう」と薬剤師を目指すが、数学が壊滅的にできなかったために理系の道は断念。
思い切って文系に方向転換をして、立教大学文学部に進学。 -
【大学時代】
1985年、立教大学文学部に入学。 当時流行していたテレビドラマに憧れて、テニスサークルに入部。勉強に部活、楽しいキャンパスライフを謳歌。
ある日、構内を歩いていると、立教OGの社会人の先輩から「ナレーターコンパニオンにならない?」
と声を掛けられ、事務所に所属することに。当時は、学生ナレーター・学生コンパニオンの全盛期。 世界的有名ブランドの香水発売イベント、芸能授賞式の誘導など数々のイベントを経験。
なかでも、マイケル・ジャクソンのコンサートのVIPゲストの受付の仕事は、いまでも印象に残っている。 学生時代にいまのキャリアにつながる数々の素晴らしい出会いに恵まれ、社会人としての立ち居振る舞いやマナーも学んだ。
当時は、男女雇用機会均等法ができた直後、コネ入社、女性の寿退社は当たり前の時代。
そんなとき、出会ったのが「服部セイコー㈱」(現・セイコーホールディングス㈱)。
同社には、女性で定年まで勤め上げた人がいたことを知る。マタニティ用の制服があり、当時では女性の働く環境としては、とても先進的な企業。
「女性がいつまでも活躍できる企業で働きたい!」
と思い入社を決める。 -
【会社員時代】
服部セイコーでは、宝飾部第一営業部に配属され、宝飾専門店の営業担当に。
当時はバブル全盛期、いまと比べたら驚くほど高級志向。宝飾専門店では、高級宝飾品は常に人気商品だった。 そんななか、ある日、会社の社内研修で、コミュニケーション講師の師匠となる株式会社話し方研究所・所長(当時)の福田健先生と出会う。
最前列に座っていたところ、福田先生から
「よかったらうちに勉強に来なさい」
と声を掛けられたのがきっかけ。 会社員をしながら、休日は福田先生のカバン持ちの二足のわらじ。研修講師になるための勉強に励む。
新卒3年目に大学時代の友人のご縁で、音楽制作会社・株式会社ビーイングに社長秘書として転職。 当時の社長は、長戸大幸氏。
B’z 、 TUBE 、 Zard 、大黒摩季、 T BOLAN 、 WANDS など超人気アーティストを世に送り出した、音楽プロデューサーでもある。 社長秘書の傍ら、研修講師の経験を積み、セイコー時代とは180 度異なる雰囲気の会社でエキサイティングの日々を送る。 -
【再婚、研修講師として起業】
結婚を機に、当時の夫の家業を手伝うことになり、株式会社ビーイングを退社。 結婚の2年目に息子を出産。 つわりゼロ、出産当日までパートさんの面談をし、 50 分で出産という超安産だった。 そんななかでも、「社会とのつながりは保ちたい」とできる範囲で研修講師の仕事を続ける。 振り返ると、いままで誰の扶養にも入ったことがない。 長男が小学校5年生のころ、離婚。 慰謝料と養育費のない形で、自立して子育てをすることに。 横浜の実家に戻り、研修講師としてがむしゃらに働いた。 「わたしはこの先、食べていけるのだろうか……」 そんな不安を打ち消すように、来るもの拒まず、いただいた仕事はすべて受けた。 振り返ってみると、年間200日登壇しているような忙しい日々を送る。 そんななか、友人の紹介でいまの夫と出会った。 その後、オリジナルカリキュラムの構築、日本アンガーマネジメント協会理事に就任するなど、研修講師として幅を広げる。 2012年には初の単著出版を皮切りに、10冊以上の本を出版。 現在は夫と息子、オカメインコのピーちゃんとの3人+1羽暮らし。忙しくも楽しい毎日を送っている。

組織の「伝わらない…」を
「わかり合えた!」に変える

多様性を受け入れようと言われているなか、
とくに管理職の方たちは組織内外の
コミュニケーションで非常に苦労されています。
弊社は現場で起こる問題を解決する会社です。
4,000の現場に足を運び、
直接声を拾い上げ、研修や講演を通して、
コミュニケーションのあらゆる問題を
クリアにしてきました。
組織の「伝わらない…」を
「わかり合えた!」に変える研修をお届けします。